認知症の両親との同居生活体験記(6):身内だとなぜか厳しくなる?!認知症の方への接し方
認知症とのかかわり方について、自分自身の「認知症の両親との同居生活体験記」を交えながらブログを書いてまいります。
認知症の両親との同居生活体験記(6):身内だとなぜか厳しくなる?!認知症の方への接し方
今回は認知症の方への接し方について一緒に考えてまいりましょう。
私の実体験を通して言わせてもらうと、認知症の患者さんへは普通に接することが出来ても、認知症である両親には些細なことでもなぜか厳しく接してしまうことがありました。そして、看護師さんやヘルパーさんが認知症である両親に優しく接してくれている様子を見ては、両親に辛くあたってしまった自分自身に自己嫌悪になったことがしばしばありました。
認知症のご家族がいらっしゃる方で、ついつい強い口調であたってしまい、後で後悔するという私と同じような経験をなさった方も少なくないと思います。
では、なぜ身内であるとついつい厳しい態度をとってしまうことが多いのでしょうか。
「比較」することで生じる悲しみ、苦しみ
以前はどんなことでも出来た両親に、出来ないことが少しずつ増えてくると悲しい気持ちになりました。歩く、ご飯を食べる、トイレに行く、お風呂に入る、洋服を着るなど、当たり前に出来ていた日常生活動作が出来なくなってくると、「この先、両親はどうなってしまうのだろう」「寝たきりになって、息子である私のこともいずれ忘れてしまうのではないか」と不安な気持ちでいっぱいになりました。
私は自分の記憶の中にある「過去の両親」と「現在の両親」を比較しては、「母がこんなことも出来なくなるなんて…」「昔は何事もテキパキこなしていた父が独りでは何も出来なくなるなんて…」と苦しみました。そして「自分自身が思い描いていた両親」と「現実の両親」のギャップを受け入れることが出来ずにおりました。
私のこの苦しみは、どこからくるものでしょうか?
認知症になった両親がいけないのでしょうか?
私の苦しみは、私が勝手に思い描いていた将来の両親像と現実の両親像とのギャップであり、自分の期待通りでない現実を自分自身が受け入れることが出来ないところからきておりました。
私が記憶している過去の両親と今の両親を比較することは、そんなに大切なことでしょうか?
私が「将来こうあって欲しい」と願う両親像と今の両親を比較することは、そんなに大切なことでしょうか?
比較ばかりしていると、ついつい不足していること、出来なくなったことばかりに目がいってしまいます。昔、当たり前のように出来ていたことが出来なくなって一番悲しい思い、辛い思いをしているのは家族ではなく認知症になった本人です。それなのに、出来なくなったことを相手に指摘されることほど、悲しいことはないですよね。
一方、患者さんや利用者さんが認知症の場合、過去の患者さんや利用者さんを知らないために比較することが出来ません。それに、「認知症だから出来ないことがある」ことが前提となって患者さんや利用者さんに接していますので、「出来ないこと」に目がいくよりも「何か出来ること」に目を向けることが出来ます。そして、「出来ること」に気付いて褒めてあげることが出来ます。
身内に認知症の方がいると、自分自身の中でさまざまな葛藤が起きてネガティブになりやすく、ついつい「出来ないこと」に目を向けてしまいがちですが、意識して「認知症になっても出来ること」に目を向けて、「出来ること」を褒めてあげていただきたいと思います。
以上、今回は自分勝手に思い描いた両親の理想像と認知症になった両親の現実とのギャップに悩み、両親の出来ないことばかりに目がいって現実を受け入れることが出来なかった私の苦い体験を例にとって説明させていただきました。
認知症の方に接する時は、「出来ないこと」を指摘するのではなく、「出来ること」を見つけ褒めてあげてください。
「自分が認知症だったら、どのように接して欲しいか」を考えて行動することが大切です。